自由に思いを綴る場所

谷本有香のエッセイやコラムなど。

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優しい国

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先程テレビを見ていたら、ある番組で「優しい国杯」として、泣いている女の子に1時間以内に何人が声をかけるかということを検証していた。
フランスやドイツ、ナイジェリア、ブラジルと日本がエントリーされ、結果は日本がトップに。
色々と条件も違うだろうし、安直にこれで「日本は一番優しい国なんだ!」と喜ぶわけにはいかないと思ってしまうのは、私の実体験からだ。

実は私は乱視がひどく、眼医者などに行くと、「よく裸眼で階段から落ちませんね」と言われるくらいなのだが、さすが医者である。実際、何度も落ちている。
しかも、夕方くらいになると、目の疲れは1日酷使し、疲労のピークを迎えていることに加え、集中力も欠落しているからか、この時間帯以降に非常に落ちやすい。
恥ずかしながら、何度も駅の階段を踏み外してしまった経験を持っているのだが、まず、東京で転んだ場合、10回中、2回くらいしか「大丈夫ですか」などという声をかけてくれる人がいない。
大方は素通りしていく。
中には、失礼ながらもニヤニヤしながら見ている人もいる(それは、確かに面白い光景だろうけれど)。
しかも、これまで声をかけてもらった2回は、いずれも外国人の方だった。
これで本当に優しい国と言えるだろうか?

また、例えばスーツケースを階段で運んでいたりすると、声をかけて下さるのはやっぱり外国人の方だ。
確かに、スーツケースを運んでいる女性に声をかけて代わりに運んであげるという慣習がないのは認めるところだ。
しかし、大きな荷物を持って、赤ちゃんのバギーを抱えて階段を上り下りしているお母さんに声をかけてあげないのは慣習うんぬんで済まされるものではないと思う。
私が以前使っていた大手町は、エスカレーターやエレベーターが設備されていないところが多く、バギーやスーツケースを持っていたり、車いすの方や、お年寄りには非常に使いづらい駅なのだけれど、残念ながら、そんな彼らに手を貸してあげている人を見たことがない(私は微力ながらもお手伝いさせて頂いています)。
大手町駅と言えば、オフィス街。
皆忙しく、一分一秒を無駄にできないので、それどころではないのかもしれない。
しかし、その光景はあまりにも寂しい。

やはり日本は優しい国ではないのか。
いや、もしかすると、前述の私の階段事件も含めて考えるに、人に対して冷酷なのではなくて、実は声をかけるのが恥ずかしい、または、声をかけては失礼なんじゃないか、という優しさからなのかもしれない。
しかし、そんな優しさは優しさではないと私は思う。

ただ、「日本は優しい国ではない」と断言できるかと言ったら、これも実体験から言い切れない。
実は、10年以上も前になるが、私が大阪で仕事をしていた時、当時から今と同じく乱視がひどく、やはり大阪でも階段からよく落ちていた。
ところが、ここが大きな違いなのだけれど、大阪だと四方八方からいろんな人が駆け寄って「大丈夫ですか」の嵐になる。
しかも、どこで転んでも、よくそんな遠いところから気づいて下さったという距離から飛んできてくれる。
それに、声をかけてくれるのも老若男女、下は学生やお子さんから、上はおじいちゃんおばあちゃんまで、本当に皆暖かくてこちらが恐縮するほどである。
私は東京生まれの東京育ちであるが、大阪が大好きになってしまったのもこういう優しさに触れたからだ。

よく大阪の人は思考や行動が外国人的であるとか、一般の日本人と違うといわれているが、私が階段から落ちた時に声をかけてくれたのが、外国人と大阪の方だけということを考えても、一理あり、である。
そうなると、いわゆる一般の日本人はやっぱり優しい国民性を持ち合わせていないのか。
いや、私は東京と大阪しか比べていないし、そもそも東京にいる人を一般的日本人と定義すること自体が間違いなのかもしれない。
他の県の方々を見てみれば、皆、大阪の方たちと同じ反応をするのかもしれない。

しかし、もし、東京が例外的であったとしても、本当に冷たいのならばいざ知らず、本当は優しさを持ち合わせているのに、それを表現できていないだけなのであれば、それはあまりにも勿体ないし、あまりにもその「優しさ」には意味がないように思う。
日本人は本来、本当に優しい人たちだと思うから。

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