自由に思いを綴る場所

谷本有香のエッセイやコラムなど。

仕事や現代の社会、経済ビジネスのこと、日々の出来事など幅広く自由に綴っていきます。

苦言のススメ

イメージ

なかなかこの年になると厳しいことを言ってくれる人がいなくなる。
仕事場で仕事のやり方を注意される事はあるだろうが、人間性や考え方となると、さすがに言いたくても言いにくいということかもしれない。
また、この年まで直らないのだから言っても無駄だ、と諦めている節もあるだろう。
しかし、その結果、自分では気付かない弱点や欠点は残り続ける。
故に、相手に嫌な思いをさせ続けたり、自分のいないところで愚痴をこぼされたりする。
私自身、目上の人になら尚更、例えば後輩などにも(よく言えば)助言することを避け、自分さえ我慢すればいいや、と思っていることも多いのだから、それは翻って、私自身も多くの人に我慢を強いているに違いない。
この場をお借りして、心からお詫び申し上げます。

しかし、そんな中、先日、尊敬するある有名な方から苦言を頂戴した。
私の根本的な考え方を厳しい言葉で批判され、そして、私があえて見ようともしなかった弱い部分をえぐりだされた(まさに文字通り、「えぐりだされた」感じだった)。
間接的に批判されたりすることに結構慣れている私も、さすがに凹んだ。
何故なら、あまりにもその批判が的確で、私の痛いところを寸分違わず見事についてきたからだ。
本当にハンマーで頭を殴られたような衝撃で、打ち明けてしまうと2日間、そのことで頭がいっぱいで何も手に着かなくなってしまう程のショックだった。
勿論、その方はただ単に私が憎いだけでおっしゃったわけではない(筈)。
今後の私の仕事や社会との関わり方をより良いものにしていくための真摯なアドバイスとして言って下さったのである。

しかし、それは私にとって必要な衝撃だったと思う。
実際、その空白の2日間の後、私はすがすがしい思いでいっぱいになった。
やはり、自分の弱い部分を見て見ぬふりは出来ないのだ。
その部分を直視し、理解し、直すように努めていこう、と後押しして下さったその人に心から今感謝している。
その「苦言を呈される」という経験をしなかった自分と、経験した自分では確実に将来像が違うだろうと確信できる程の私にとって必要な出来事だった。

こう考えてみれば、苦言を呈す人というのはやっぱり必要だ。
憎まれ役になってしまうかもしれないけれど。

ページトップに戻る