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谷本有香のエッセイやコラムなど。

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生活保護に思う

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少し前だったか、全国の生活保護の受給者が過去最高を更新したというニュースが出ていた。
いまや貧困は他人事ではない。
長年、私自身、フリーランス、というと何だかカッコよく聞こえそうなので、敢えて違う言い方をすると、非正規雇用という不安定な綱の上を心許なくも渡ってきた人間として、この「貧困」の問題はもはや偶然でも何でもない、いつでも私達生活の隣り合わせにある歴とした「現実」である。

事実、私の周りでも生活保護を受けている人間が何人かいる。
勿論、こうしたセーフティーネットは必要だ。
しかし、よくよく見てみると、実は少し首をかしげたくなる部分もある。

その生活保護を受けている知人の一人なのだが、確かに職にありつけず、貧困極まって生活保護費を受給しているのであるが、その人(Aさんとしよう)の職業がこれまた非常に競争が激しい、スポット的な仕事をオーディションで勝ち取るような仕事なのだ。
当然、オーディションに落ち続ければ、仕事にありつけない。
しかも、そうそうオーディションのようなものがあるものでもない。
結果、最低限の生活費を稼ぎだす事が難しくなるのは目に見えている。
だから、アルバイトなどをしなければいけないということなのだろうけれど、Aさんはちょうど今、怪我をしているとかそういった理由から、他の仕事をすることが難しいとのことで、その旨申し出たところ、あっさり許可され、受給が決まったという。
Aさんは「さすが○○区(非常にお金持ちの人が住んでいる印象のある地域)。太っ腹だ」とのたまう。

なんだか腑に落ちないのは私だけだろうか。
確かに、たまたまその人の仕事が、他の仕事に比べて空きを見つけるのが難しい、ということもあるだろう。
しかし、この知人のケースは、今、労働力需給ギャップのある介護業界に身を置いている人と、不況のさなか、以前ほど労働力需要が高くない、例えば、建設の現場の仕事との「比較」という次元の問題ではない。
明らかに、仕事が得られる確率の方が圧倒的に少ない特殊な職業での話である。
そういう事情や背景を一切無視して、ただただ「貧困」に陥っているから助けてあげよう、という自治体の姿勢は、なんと慈愛に満ちているのだろう、日本はなんていい国なのか、と感心もする。
しかし、こういった姿勢ではいくらお金があっても足りないだろう。

一方で、不正受給が横行しないように、今、厳しすぎる程の自治体の監視があり、本当に必要な人の手元に適切なタイミングで届かないということも一部では聞く。
これらの違いは、自治体の違いや、もしかすると対応する職員の違いによって生じるのかもしれない。
けれど、本当に困っている人がすぐに受給できず、一方で、やり方を変えれば経済力があるのにもかかわらず、保護を簡単に受けられる人がいるというような矛盾が、事もあろうに、こういう安心を提供する場所で出ている事実は由々しき問題だ。
これはWの意味でマイナスだ。
いや、実際、受給を受けていない者にとってみても、本当に困っている人にならいざ知らず、将来の生活設計もなしに生きてきた結果、貯金もなく、職にもありつけないような人に、自分たちの税金を使って生活保護費を支払うというのは、納税者の不公平感を高めるという意味において、トリプルのマイナスインパクトである。

今、話題の年金問題もそうだが、「不公平感」というのは排除する方向で動かないと、不平や不満、閉塞感が生まれ、モチベーションが下がり、社会のモラルは崩壊する。
一つ一つの不公平感は小さくても、それが積もり積もって、あらゆるところに悪影響を及ぼす事になってからでは遅い。
知り合いの外国人が日本のことを「負け犬天国」と言っていた。
正直者が馬鹿を見るような国にしてはいけない。

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