KY(空気なんて読むな)!

オリンパスの問題で市場が揺れている。
損失隠し、しかも、それが「飛ばし」による隠ぺい工作だったと聞いて、思い返さないわけにはいかない。
そう、97年の山一証券の自主廃業である。
私は当時、山一證券で社内の経済ニュースのキャスターをしており、ちょうど入社して2年が経つあたりだった。
朝、通勤時間に(早朝出勤の為、電車内は恐らく9割がた金融関係の方だったのでは)皆が日経新聞を読んでいる。
その新聞の一面の見出しに「山一證券、飛ばし」という大きな文字。それが車内に並ぶのだ。
それを見る度に、心が痛んだ。
当時の私はその意味もよくわかっていなかったのだけれど、ただ、それが背徳行為で、この「飛ばし」によって、信頼を損なっている事、社会が山一証券に対して怒っている事は感じ取れた。
当然、自分たちのしてきたことを、きちんとしたかたちでディスクローズし、そして、信頼を回復する方向で動かなければ、という気持ちは社員一人一人が持っていた筈だ。
しかし、その当事者の社員にとっても、何が起こっているのか、何が起きようとしているのか、どう対処するのか、それにはどのくらいの期間が必要なのか、そして、経営陣は何を考えているのか、皆目見当がつかず、皆、不安を抱きながら、報道だけが頼りと、新聞や雑誌、TVの報道に目や耳を傾けていたのが真実ではなかろうか。
一部の人たちによって決定されたこういった工作によって、従業員だけではない、株主や取引先をはじめ、多くのステークホルダーは勿論、社会までもが不安に陥れられた。
この行為は許されるものではない。
しかし、それにしても、自分が経営の中枢に携わるような要職に当たって、公人としての責任感というものは生まれないものだろうか。
この背徳行為を目にし、耳にし、誰一人として「これはおかしい!」と声を上げなかったのか。
否、上げた人もいたのだろう。しかし、それは何がしかの力によって恐らくねじ伏せられたに違いない。
しかも、今回のオリンパスの事件発覚の過程では、この問題を指摘したマイケル・ウッドフォード元社長が解任された事も話題になっているが、外国人の方じゃなければ、指摘できなかったのか。
互いに、空気を読むこと、先送りして難を逃れることで、我が身を守るという考え方が日本人特有のものだと思われたら、非常に悔しい。
考えてもみれば、色々と明らかになる不祥事は、多くが社員からのリークによるものである。
それは、名前や素性を明らかにさせないとしても、抑えきれない良心や、背徳行為への嫌悪感、もしくは、それを看過している経営陣への単なる不満だけによって起きていることかもしれない。
こういった自浄作用が働くのは当然だ。
だからこそ、それが働く前に、一部の人たちだけである事実を隠匿し、結果的に想像を超えるネガティブなインパクトとなって企業や自己に跳ね返ってくることを想定できずに、日和見的な行動を取っていた経営者の責任は大きい。
しかし、悪というものはどこにでも存在する。(その時点で、経営陣たちに「悪」だとの認識はこれっぽっちもないのかもしれない)
だから、こういうことがまかり通る事がないような仕組み作りをするべきなのであろう。
しかしそれが、社外の人に取締役や監査役になってもらうといったように、ガバナンス強化をしていた中で起きたこの事件である。
この社外取締役、社外監査役、監査法人を選定する段階で問題があるのか。
それとも、彼らのこれはおかしい、という声が小さ過ぎるという事に問題があるのか。
声を大きくしても、それをもみ消してしまうくらいに、経営陣と、チェック機能たる人たち、もしくは機関との関係性のバランスが悪いのか。
今回の発覚のように、たった一人の勇気ある人がいるだけで、その企業が信頼を大きく失う事を回避できるかもしれないのだ。(勿論、一時的に信頼を失う事にはつながるだろうが)
空気なんて読んじゃいけない。
空気読めない人たちだけで結成されている監査人集団から、強制的に一人、企業に派遣される方法はないのだろうか、などと子供染みた考えを巡らす今日この頃である。