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谷本有香のエッセイやコラムなど。

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本当のダイバーシティマネジメントを!

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昨日、大変久しぶりに某大手電機メーカーに勤める友人と会食した。
自らのスキルと実力を武器に、常に上へ上へと様々な業態を超えてキャリアアップする国際派である。
その彼が、面白い事を言っていた。

その某大手メーカーは、いま、ダイバーシティマネジメントの掛け声の下、女性幹部の数を増やしていこうという取り組みをしているらしい。
いわずと知れた事だが、ダイバーシティマネジメントとは、多様な人材を活かした組織を構築することである。
国内市場の飽和、人口減、そして、世界経済がグローバル化してきているという背景も大いに手伝って、こういった動きにつながっているのだろう。

そして、当のメーカーも事実、一人の女性を、幹部に引き上げるということになったらしい。
しかし、その人事に待ったがかかっているという。
多くの男性社員が「それはありえない」と反対に回っているというのだ。
また驚くべきは、世界をまたにかけて活躍し、恐らくダイバーシティマネジメントのようなグローバル化に向けた動きだとか、多様人材の育成に関して非常に理解度が高いであろう私の知人も反対しているという。

なんでも、これまで“女性”ということで、その幹部候補女性は非常に手厚い保護を受けてきていたのだというのだ。
例えば、それは、「ご家族がいらっしゃるから、残業につながるようなプロジェクトは彼女に回すのはやめておこう」という気遣いであったり、「女性だから、危ない海外の地域への出張は避けよう」という心遣いを皆がしてきていたという。
だから、結論を急ぐと、「(女性ということで気遣ってきた結果)一丁前に成果を出してきたわけじゃないんだから、(自分たち男よりも先に)幹部になるのはおかしいだろう」、こういうことなのだろう。

しかし、と思う。

そもそも、ダイバーシティを推進する事、イコール、女性幹部枠を作って、とりあえずの数合わせにしているのもおかしい。
そして、もしも本当に彼が言うことが正しいのなら、能力がエクスペクテーションに満たない人間を、女性枠を埋めなければいけないがために、幹部に適用するのもおかしい。
しかも、その前に、「女性だから」という理由で、変な気遣いをしているのもおかしな話だ。気遣ってくれるのは有難いことだろうけれど、そもそも、家族を持っているのは「女性」だけじゃないし、出来るか出来ないかを先回りして、心遣いをするなんて、余計な御世話だ。
さらに、ダイバーシティというと、なんでもかんでも「女性の活用」となる短絡的志向もおかしい。外国人だって、高齢者だって、非正規だって、障害者だって、とにかく色々な文化的背景や、考え方の違いなどの多様な人材を取り込む事が、そもそもダイバーシティであろう。

もう一つ、付け加えると、能力がなくても、幹部に(数合わせで)なれるという事態が起こっているのは、そもそも女性だけだろうか?
日本企業において、幹部になった男性社員は「やっぱりさすが幹部になれる人は、それなりの人なんだなー」という誰しもの納得する人事になっているだろうか。
勿論、元々のパイが大きいだけに、男性社員の方が、きちんとした競争原理を以て、選ばれし者が上に引き上げられているという構図は確かに存在するだろう。
そういう意味において、女性は元々のパイも大きくない上に、幹部候補、もしくは管理職候補として育てられるという企業風土も定着していなかった事を考えると、男女比で見てみると、やはり能力的にはもしかして劣っている人も推薦されてしまうという現実はあるかもしれない。

しかし、全ての企業がそうだとは言わないが、いまこの「ダイバーシティマネジメント」を思考錯誤している状況において、見直すべき点が多すぎる事は確かだろう。

それにはまず、人事評価システムの曖昧さを是正すること。
女性だから、男性だから、外国人だから、というのは関係なく、本当に優秀な人材が評価される制度・仕組みをいまいちど整備しなければいけない。
また、このマネジメントを行う事の本来の意義をもう一度確認すべきだ。
まだ日本独自の「ダイバーシティマネジメント」を模索中だからこそ、小手先の「数を増やす」といったことや、「外国人採用枠を増やす」という個別策にとらわれてしまうのも分かる。
しかし、やはり、目指すべき先は、このダイバーシティによって、多様化するニーズにこたえやすくなったり、経営環境の改善で、人々が働きやすくなったり、決行している会社が収益性を増加したりする事例に見られるように、実質的にプロフィットにつなげていくことだ。

日本企業にとって、ダイバーシティマネジメントは今後、本格的に取り組まなければいけない一つの経営課題である事は否定できそうにない。
だからこそ、手段のところで留まっていてはいけない。
企業の在るべき形を見据えて、柔軟に対処していくことが必要である。

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