中庸の徳たるや、それ至れるかな

先日、現役の政治家の方を交えてのパネルディスカッションのファシリテーターを再びさせて頂いた。
今回のテーマは「日本の産業構造転換の在り方-めざすべき社会に向けて、具体的に為すべきこと-」。
いま、従来の日本経済の在り方からの大きなパラダイムシフトを迎えている、もしくは、迎えなければならないというのは事実であろう。
その一つのきっかけとなる筈であった東日本大震災であるが、いまのところ、その前後で大きな変化を見る事は出来ない。
それでも、少子高齢化で国内市場がシュリンクする中、そして、新興国の急拡大というグローバル環境も加わり、日本も産業構造を転換しなければならない、という議論は避けて通れそうにない。
その上に、円高という圧力もかかり、これまで自動車や電気産業を成長ドライバーとした外需主導型の経済が立ち行かなくなったと見る人も多いだろう。
では、日本はもはや「モノづくり」国家から脱却し、新たな道を模索しなければいけないのか。
実際に、「技術」で勝って、「利益」で負けると言われている昨今の日本の製造業。
新興国の技術のキャッチアップも早い上に、これまで日本が進めてきた「技術至上主義」では、最大のマーケットとなった新興国の人たちに受け入れてもらえないのも致し方ないかもしれない。
本当に彼らが何を求めているのか、それも、アジアとひとくくりにマーケットを見るのではなく、それぞれの国や地域の文化や歴史的背景などを勘案しながら、売れる=儲かるモノづくりに今すぐ転換していかなければならない。
また一方で、ぺティ・クラークの法則にあるように、日本も「モノづくり大国」から、サービス産業へと、構造変化を進めるべきだという声もある。
今回、パネルに出て下さった自民党の鴨下一郎氏も、「長寿」を日本のキラーコンテンツとすべきとご提言されていらした。
確かに日本の最大の武器である「長寿」をキーワードとすることは非常に有効であろう。
また、この長寿に絡む、「食」「メディカルツーリズム」「安全・安心」といったコンテンツをパッケージ化することで、日本の新たな社会の在り方も見えてきそうだ。
ただ、いつも日本で議論をするとどうしても極端に振れがちになるのだが(成長路線か福祉国家か、モノづくりかサービスか、のように)、もっと中庸の考え方はないだろうか。
そもそも、このようにグローバル化し、オープン化している現代において、「モノづくり」や「サービス」をあえて別のカテゴリーとして分けるというのも時代にそぐわない。
互いにそれらは融合し合い、組み合わせ、より新しい形のサービスを生みだすことだって可能な筈だ。
当然、まだまだ世界の中でも最先端である日本の技術をサービスに転化させたり、これも世界の中ではトップといわれるサービスの考え方をモノづくりに反映することだって出来る。
いや、むしろ、それぞれの強みを合わせ、補完し合って「最強の価値」を創り出さなければならないだろう。
だからこそ、従来の縦割りの考え方、どこかの産業だけに配慮するような政策、首相が変わる度に振れる方向性、こういう時代遅れの考え方は転換する時が来ている。
特に政治家の方々には、大局的な視点に立って、しかも、一時的ではない、30年後、50年後という将来を見据えたビジョンが欲しい。