組織は悪か?

話題の本、『官僚の責任』を読み始めた。
まだ最初の数十ページしか読んでいないが、とっても面白そう。
私も官僚の友人・知人が多くいるが、皆本当に優秀で、心から尊敬している。
だが、彼ら自身も指摘している事でもあるが、官僚の中には、省益を優先させるような行動や思考の人も実際いると聞く。
一般的に、官僚の方たち一人一人は国を良くしていこうという熱い志を持ち合わせている(もしくは、「いた」)ものの、組織となった途端に、自己保身や省益優先、利権拡大に走るといった風に捉えられる事が多い。
これは省庁に限った事ではないだろう。
人が集まり、集団となって、組織となった時には、必ずと言ってもいい程、起こり得ることだ。
作家の城山三郎さんも「組織は悪だ」と言った。
城山氏の場合は、海軍に所属していた時に、上官からのいじめが常態化した軍隊としての組織の腐敗や欺瞞に幻滅したという。それが、彼の後の著作のテーマの一つともなっている。
「組織=悪」。
もし、それが本当ならば、何故、人は組織になると個々人で持ち合わせた目標とは違う方向に動いてしまうのか。何故、組織になると、一人の時に持ち合わせていた善意が消え、もしくは消されてしまうのか。何故、組織では組織として掲げている理念とは裏腹な行動に走ってしまうのか。
冨山和彦さんは、「人はインセンティブと性格の奴隷である」と言っているが、確かにそう考えれば、これらのことも合点がいく。
つまり、組織を構成する一人一人のインセンティブ構造、例えば、それは、これから受験をしなければいけない子供を抱えていて、お金がしばらくかかる。だから、自らの行動を保守的にせざるを得ないといった動機や、このままいけば、省庁から企業へ天下る事が出来るという思惑が働く事によって、あえて業務や対人関係でリスクを取って企業や組織の事業拡大や改善につとめるよりも、何もしない、もしくは現状維持をして、今の生活や待遇を護持しようということなのだろう。
別に彼ら一人一人が悪人と言うわけでもない。
名誉や昇進のためといった分かりやすいインセンティブではなく、もしかすると、自分の家族を守るためという、非常にある意味崇高な目的のために、各人が組織の構成員として従事しているかもしれないのだ。
それを責める事が果たして出来るだろうか。
しかし、と思う。
組織とは、そもそも共通の目的を達成させるために構成されているものではないのか。
つまり、構成員のいかなるインセンティブがあろうと、その目標がぶれることはあってはならない。
そして、その目標をぶれさせないのは、組織をまとめる力であるリーダーであり、構成員をその目的に向かわせる強力なインセンティブであり、さらに一人一人の才能を活かし、最大化させるための構造や人員配置であったりするのだろう。
内だけ見ていても、なんとか現状を維持出来る様な時代はとっくに終わっている。
それぞれの組織が、競争力を持って強くなっていくことが、ひいては個々人を豊かにする事につながるのだということを認識しなければならない。