自由に思いを綴る場所

谷本有香のエッセイやコラムなど。

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上司と若者の間に実在するグラスシーリング

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友人が最近の若手社員は何を考えているかわからないという。
飲みに誘っても断ってくるし、注意しても笑顔でいるし、その上、返事だけはパーフェクトで、結果的に何も直っていないことだらけだというのだ。それでいて、自己実現には熱心で、自分の時間を大切にし過ぎるあまり、仕事場での熱意が感じられないという。

この手の話を聞いたのはこの1回だけではない。
しかし、私は実はいまいちピンとこない。
何故なら、私の周りにいるいわゆる“若者たち”は皆、非常に前向きに仕事に取り組んでいる子ばかりであるし、仕事の覚えも早いし、何より彼らの仕事はかつての“若者”に比べて、非常に効率的であるように思う。
また、社会的な関心も高いし、内には熱い思いも秘めている。
そして、何よりも驚かされるのは、彼らのコミュニケーション能力だ。
巷では、若者のコミュニケーション能力が低下していると盛んに言われるが、私はこれには非常に疑問を感じる。
むしろ、現代の若者は、驚異的なコミュニケーション能力を持っているのではないかとさえ思う。
後輩や部下に、大先輩として、最上級敬語・最敬礼モードで接してほしい、という要望をお持ちならば、確かに物足りないかもしれない。
しかし、彼らは、上下関係がある場合にしろ、人が快適に感じる距離感というのか、適度な間合いを取るのが非常に上手いと思う。
入るべき時に、上司や先輩の懐に入るというタイミングや頃合いもわきまえている気がするし、それでいて、ベッタリ依存するようなことはしない。
一言で言うと、とても可愛げがあるのだ。
若者、流石なり。

もしかすると、「若者はなっとらん!」とご立腹の大人たちが、今こそ変わらなければいけない新たな時代に入っているのではないだろうか。
飲みニケーションという日本的な手段でしか、本音を聞き出す事が出来ない、親睦を深める事が出来ないと思っているのは、もはや時代遅れなのかもしれない(私は大好きだが)。
何しろ、彼らとその上の世代とは、絶対的にコミュニケーションに対する体験のベースが違いすぎる(携帯電話、パソコンの与える影響は大きいだろう)。

純粋に彼らは、日頃の仕事の中で、上司や先輩の人間性や仕事の出来・不出来を見、信頼おける人なのか、そうではないのか、冷静に分析している。
それでいて、彼らの賢いところは、それらの評価基準において「否」と判断した先輩・上司に対しても、全くその片鱗も見せず、諸対応していることだ。

グラスシーリングという言葉がある。
よく女性の昇進などで使われる言葉だが、ガラスの天井、見えない天井などとも言われる。上級職への昇進に際し、女性という条件の為に突破できない時などに使われるものだ。
私は、このグラスシーリングが上司と若者との間にも存在するのではないかと思う。
しかも、そのシーリングは、実は上の部分から見ると、すりガラスのようになっていて、下が見えるようでいて、きちんと見えている訳ではない。
つまり、下にいる部下や後輩たちからは、上の人の仕事ぶりや考え方、生き様、人間性など全てがお見通しなのに、まさか上にいる人間は、下の人間がそんな風に自分たちを見通し・見透かしているなんて気付きもしないのだ。
何故こんな勘違いが起きるのか。
まさにその理由こそが、彼らのコミュニケーション能力の秀逸さにある。
微塵たりとも、そんなことを思っているとは見せない彼らの好ましい態度によって、すっかり自分が上司や先輩として尊敬されている、好かれていると心得違いをしてしまうのだ。

勿論、今の若者を表現する時に、若く経験もないという理由以外にも、なっとらん、と思ういくつかの要素を指摘する事が出来るだろう。
しかし、気をつけなければいけないのは、自分たちもそんな“若輩者”たちから冷静に「なっとらん」と思われているかもしれないという事だ。

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